道後商店街 絣屋

私は、生まれも育ちも道後温泉すぐそばにある道後商店街。浴衣姿で下駄の音をカランコロンと鳴らしながら、沢山の人がそぞろ歩きを楽しむ、いわば非日常的な環境が私の日常でした。
戦後1945年に、満州から帰国し祖父母が小さな下駄屋から開業。そこからお土産屋を道後商店街で3店舗、懐石料理屋、ホテル、などなど経営を成長、拡大させていきました。

が、時代の流れ、或いは環境の変化と共に、
私が子供の頃にはもう
今の(株)絣屋は絣屋本店、支店の2店舗となりました。
私が愛媛に帰り絣屋に携わり始めた2012年頃には、集客や売上も右肩下がりに落ちておりました。
観光地での、お店の成長には、
先ずはここ道後が選ばられる観光地
となる、なり続けることが成長の柱、鍵となると考えております。
時代の価値観は、この約10年ほどで
モノからコト
へと大きくシフトしました。
コトとは、人が行動をしてこそ初めて動き出し起き上がるモノ。
2012年、先ずは、その動き出すための中枢の同世代の有志のメンバーを商店街で募り新たなるコトお越しのプロジェクトを道後商店街青年部としてスタートさせました。
振り返ると、いくつかのコトが動き始めました。
その一つがカウントダウンイベント。
2014年から始めた道後カウントダウンイベント。旅館組合、道後商店街でおもてなしを売りとした、全国からの観光客と一緒に祝うカウントダウンイベントを‼️‼️
最初は800人くらいの方で賑わいました。
が、年々趣向を凝らしながら続けて行くうちに1000人、2000人を超えて今では3000人で大賑わいとなる一大イベントとなりました。
日経Styleにより、無料で楽しめる年末カウントダウンイベント西日本一位🥇の称号を2年連続頂けるまでに成長しました。
道後にある宝厳寺。ここは一遍上人の生誕地です。一遍上人といえば歴史でも習った時宗踊り念仏。なのですが、実は、全国各地にある盆踊りの元祖が、この踊り念仏と知る。
しかし、道後には盆踊り文化がない。無いなら作ってしまえ‼️と言うことで
2013年アーティスト海野氏にプロデューサーとしてお願いをし、現代音頭作曲家山中カメラ氏に道後湯玉音頭を作って頂いた。
道後BONダンスの完成‼️
年末の道後商店街駅前で披露し、その頃の人の輪は2.30人くらいでした。
いつか道後温泉本館を太鼓櫓と見立てて、
観光客と地元の人でみんなで本館を囲みたい‼️‼️という野望のもとに活動を地道に開始。
小中高校、或いは保育園、大学にもこのBONダンス、まちづくりの授業に回り、知ってる、踊れる人づくりを開始。
すると2年後に初めて道後温泉本館を囲んで遂にBONダンスを開催できた‼️
今では300〜400人で本館を囲んで踊る一大イベントへと成長。
その頃から、商店街の老若男女皆さんの意識も起き上がってきた。
人起こし=町おこし
と実感したのもこの頃。
愛媛国際映画祭だったり、イベント、ロケ、取材含め芸能人の方々ともご一緒させて頂く機会も多い‼️それもまた刺激となります
年間、いつ来てもなんか賑わいがある、癒しがある、熱さもある、
そんな町にどんどんしていきたい‼️‼️
何より自分達がこの町をもっと楽しみ続けたい‼️が我々の松任です

女性が一人旅したい町ランキング5年連続一位🥇に選ばれているのも、ここ道後、松山の最大の武器‼️‼️
冒頭にも書いた2013年まで道後温泉入浴客数70万人に向かい減少してましたが
2014年道後オンセナートを皮切りに今では110万人に向かい右肩上がりに上昇。
それに伴い、自店の品揃え、レイアウト等も改装を伴いながらMD変更をかけ続け、
2019年の売上は2013年度の売上と比べ約2.3倍にまで飛躍‼️‼️
本当に感謝です。

商売、或いはまちづくり、全てにおいて、
想いを込めて、情熱を注ぎ、全力で取り組めば
思いは形となる
ことを改めて実感させて頂いています。

(株)絣屋の3代目社長として、また
道後商店街振興組合 理事長として
文学と歴史の町 道後を
日本一楽しく、癒しのある観光地に‼️
安心安全な居心地の良い場所づくりに‼️
しっかりと取り組み
ピンチをチャンスに‼️
生涯青春‼️
コロナ環境下もその思いで、これからも頑張ります

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